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隠す理由

2017年04月

今日、娘の小学校卒業式に行ってきました。息子と合わせてうちの子供達が通算11年通った小学校ですので、それなりに感慨深いものがありますが、一つ不思議なことがあります。それは、娘が友達のかなりの人数についてどこの中学校に進学するのかを知らないということです。保育園の時から10年を超える長い年月にかけての同級生であり、それこそまだ話もできない頃からコミュニケーションを取り合ってきた仲の友達も複数名いるのですが、今般は小学校卒業を機にお互いの進路はわからなくなってしまうようです。

 原因は中学受験です。娘の友達も多くが中学受験を経て進路が決まったようですが、大手の中学受験進学塾では、どこの中学を受験するかを絶対に友達に教えてはいけないと厳格に指導をするようです。受験校名がばれたところで、他人が合格妨害をするような有効な手段もちょっと思い浮かばず、何もそんなに情報守秘に気をつかう必要はないのではないかと思いますが、まあ受験前であれば、落ちた時に恥ずかしいとか、周囲にあれこれ騒ぎ立てられて余計なプレッシャーがかかるのを避けたいという意図もあるのかなとは思います。しかし受験が終わり進路が決まっても相変わらず、皆どこの中学に進学するのかを語ろうとしません。とは言っても、志望校受験に失敗して不本意な学校に行くことになったわけでは決してないらしい。子供としては本当は話したくて仕方がない素振りで、情報を小出しにする場合も多いようですが、肝心の学校名だけは絶対に語らないのです。それはまるで、守秘義務契約(NDA)によって契約終了後も秘密情報守秘義務は3年間存続すると規定されているがごとく、結局は多くの友達の進路が不明のまま、本日めでたく小学校をともに卒業と相成ったのです。

なぜこうなっちゃうのかね、と妻と話していて急にひらめくところがあり、私が「やっぱり呪いをかけられるのを恐れているんじゃないかな」と言うと、妻は「え、何それ?進学先がわかると誰がどうやって何の呪いをかけるのよ!」とあきれていましたが、そのような理屈の問題ではないのです。日本という国は古来、名前がばれると呪いをかけられ殺されてしまうリスクがあるので、天皇を始めとする高貴な人物の名前が国家の最高機密であった国です。その後、武士の世の中になっても日常は本名は用いられず、公式の場では役職名、また親しい仲であれば字名、つまり通称で呼び合うのが常でした。そして今でもまだ、会社で上司を名字で呼ぶのは失礼であり、役職名で呼ぶのが正しいという風潮は残っています。アメリカにおけるように、上司をファーストネームで呼ぶなどと言うことは狂気の沙汰です。

もちろん、時代が進むにつれて「呪いを恐れる」という非科学的な要素は、理屈では排除されていきます。しかし慣習としては残る。なぜか?それは我々日本人のDNAには、「呪いは怖い」という感覚がしっかりとプログラミングされているからです。しかし、科学技術の進歩で妙に理屈にさとくなってしまった分、その恐怖の感覚は確かにあるのに自覚としては認識できない。それが、進学先を隠すということの背景にある原理なのではないかと思ったわけです。

 このことを敷衍して考えれば、日本人のヒステリックなまでの個人情報漏洩に対する嫌悪感の背景も見えてくるのではないかと私は思います。個人情報が漏れてしまって、ストーカーなどの被害に結びついてしまうリスクは確かにあります。けれども私は、個人情報がオープンになっていることの利便性の方がはるかに大きいと考えています。今やビッグデータとやらで、個人情報を晒しておけばいつでもどこでも私の趣味趣向にあった情報が届けられ、とても便利です。それでも日本人は個人情報が漏れたとなるともう大騒ぎで、個人情報保護法なる天下の悪法がどんどん強化される、一方それによって企業の経済活動に多大な悪影響を与える状況にはまったく違和感を持ちません。これもやはり、個人情報が洩れれば「呪い殺される」、つまり命の危機だという深層心理があるのではないかと思うのです。

今は亡きジャーナリストの筑紫哲也氏がその昔、企業の不祥事が起きるたびに、「日本のこの“隠す”という性質が企業不祥事を悪化させる」ということを言っていましたが、その時は私にはその意味がよくわかりませんでした。ところが今、「隠す」背景に「呪いへの恐怖」があることを知り、ようやく氏の言葉の意味するところがわかってきました。単純な話で、呪いが怖いから情報を隠す人にそれを聞こうとするのは「呪いをかけるぞ」という宣言になるのであり、殺人の意思表明に他ならないですから、そんなことをしてはならない。従って話すことも聞くこともできない。これでは事実が把握できません。すると、事実に基づかない状況判断に従って仮想現実の中で物事を進めていくので、状況がどんどんと悪化していくのです。

これは決して他人事ではありません。先日私の席の前のミーティングスペースで、社員数名がある案件についての対応会議をしていました。傍で聞いているとやや滑稽なところがあり、とにかく案件に関わる相手方登場人物の各々の心情を、ちょっとした発言やしぐさ、またはメールの言葉尻などから想像し合うということを大声でやっています。想像力によって読み解いた各人の心情をもとに現状認識をし、今後のシナリオを組んでいるようですが、だんだんに議論はエキサイトしていき、最終的にはこの案件は壮大な陰謀の可能性があり、巻き込まれたら最後、我々レベルの会社にとってはこれまで積み上げてきたものを一気に吹き飛ばされかねない大惨事になるという物語ができ上がり、不穏な空気が場を覆い尽くしています。

 たまりかねて私は、「相手の気持ちを想像ばかりしていないで、聞いてみればいいんじゃないか。物語を作るのではなく、事実に基づいた判断と行動が大切だと思う。」と口を挟みました。その言葉に皆、呆気にとられ放心したようになっていました。隠蔽の呪縛から解放されてしまえば、これまで大声で相手を否定し合いながら作り上げてきた呪いの物語の鬼気迫る空気感は完全に水に流れて消え去り、突然憑き物が落ちたかのような寂寥感の中、「…不明点をいくつか聞いてみようか」というあまりにもシンプルで当たり前のソリューションの前に、皆すっかり気抜けしてしまったようでした。改めて相手方に確認してみれば、それは陰謀でも大惨事でもなくきわめて前向きな話であったのですが、相手に聞くことが失礼であり躊躇してしまうということが、このようなのっぴきならぬ状況をもたらしてしまうわけです。

我々は日本人ですから、その宿命は受け入れていかなければいけません。どうしてもそのサガには逆らえない部分は確かにあります。自分の情報が漏れるのはどこか気持ち悪いし、また他人にそれを聞くのはどうしても気がひけてしまう。プライベートな関係であればそれでもよいでしょう。しかしビジネスの世界では事実がすべてです。そのことを肝に銘じて、「隠す」というところから意識的に抜け出していく必要があるのではないでしょうか。

代表取締役CEO  奥野 政樹
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