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CEOニュースレター

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組織のくくり

2015年11月

世の中が、ラグビー日本代表チームのワールドカップでの活躍に熱くなり、今もまだその余韻が続いています。私も何試合かテレビ桟敷で観戦し、「日本、頑張れ!」と心の底から思いました。しかし改めて考えてみると、自分はなぜこのチームを応援しているのかがよくわからず、少々不思議な感覚も持ちました。ラグビーの場合、ナショナルチョームについての考え方が大分特殊で、一定の条件を満たせば、その国の国籍を持っていない選手でも代表チームに入ることができます。実際、今回の日本代表チームの中心選手の複数人が日本国籍を持っていないようでした。


私はラグビーをもう何年もフォローしておらず、知っている選手は一人もいませんし、特定の戦略や戦術、あるいはプレースタイルに対する思い入れというものもありません。その上、選手の多くが日本国籍を持っていないとなると、このチームと私との共有ポイントは、実は殆どないわけです。唯一の共有ポイントと言えば、このチームが、私にとってアイデンティティーの非常に重要な部分を表す言葉である「日本」という名のもとにくくられているということだけです。

 私のアイデンティティーを構成する「日本」とこのラグビーチームが名乗る「日本」は、やはりちょっと違っているような気がします。それでも私は、このチームが「日本」という名でくくられている限り、このチームを心情的に応援せざるには得ないわけです。組織をくくり、それに名を付すということは、その内実とは関わりなく人間の心に無条件の帰属意識と同時に、他の名前でくくられた組織に対する垣根を生じさせるということです。


ところで、ここで考えたいのは「アメリカ合衆国」というくくりです。どうも、アメリカ人にとってこのくくりは大きなアイデンティティーの源にはなっていないようなのです。一言で言えば、アメリカ人は自分が「アメリカ人である」という意識が非常に薄いのです。その証拠に彼らは、スポーツで自国のナショナル・チームの応援にはあまり熱心ではありません。野球で言えば、大リーグのスター選手揃いのアメリカ・ナショナルチームの試合よりも、地元のマイナー・リーグの野球チームの勝敗の方がずっと気になる。そういう国民性なのです。

 「日本」というくくりも「アメリカ合衆国」というくくりも、その発生の起源は外国からの圧力に対する対抗のための結束と言う意味では似ています。そのような国と言うくくりができる前は、日本では藩が、アメリカでは州がくくりの単位だったわけで、状況はとても似ています。それなのに、日本人とアメリカ人のこの国と言うくくりに対する温度差はどこから出てくるのでしょう。私は、それはくくりの目的が守備か攻撃かによる違いなのではないかと思うのです。

 「日本」というくくりは、幕末に黒船が来航し、欧米列強による植民地化の危険に対抗するために生み出されたものです。いわばそれは、守りのためのくくりです。それに対して「アメリカ合衆国」というくくりは、イギリスの植民地としての地位から独立するために生み出された、いわば攻めのくくりなのです。つまり守りのためのくくりは、攻めのためのくくりよりもよりそのくくられた人々の結束を高めるのではないか。これが私の仮説です。攻めるよりも守る方がずっと難しい。だから、守るためのくくりはより濃密なアイデンティティーの形成に結びつくのではないでしょうか。


セクショナリズムという言葉があります。ある名称のもとにくくられた人々が、もっぱらにそのくくりの便益だけを考えるようになり、全体のために何が必要なのかを見失うことです。これなども、いつのまにかくくりの目的がくくりの中の平穏と現状を守るという、守備に特化したものになってしまうことにより起こるものではないかと思います。であるならば、くくりの目標を何か新しいことを達成するという攻撃的なものに設定し直すと、少し解消するのではないかと思うわけです。

 また、よく社員の愛社精神を高めたいという経営上の課題を耳にします。しかしそれは、つまりくくりの密度を高めることであり、私の仮説によれば、そのためには守りのくくり目標をより多く設定することが有効ということになります。そう考えると、社員の愛社精神があまりに高い会社と言うのは、つまりは極めて内向きの会社であるということであり、必ずしも好ましいことではないのではないかと思うのです。


こうして考えてくると、冒頭のラグビーの日本代表ですが、そのくくりの目標が極めて攻撃的であるということが、違和感を感じさせない最大の理由なのではないかと思えてきました。

 一方で、くくるべきではないという考え方も、ジョン・レノンのイマジン以降急速に世界を席巻し、今もそれは厳然としてあるわけですが、私はそれもどうかな、と思います。例えば「地球人」という言葉があります。これは、くくらないというよりも「地球」という言葉のもとにくくってみたと言えますが、いかんせん、その対抗軸となるくくりが存在しないと、守りにも攻めにもならないわけで、くくる意味がどうにも感じられない。将来、宇宙人が攻めてくるとかいう話になれば、俄然、地球人と言うくくりは守りを目的とした強い意味を持つようになるかもしれないし、逆に宇宙開発に本格的に乗り出すとなれば、攻めの要素の強い緩やかなくくりとして、それは成立するようになるのかもしれません。

代表執行役CEO  奥野 政樹
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